当塾での學び

LEARNING

日本人としての繁栄の礎は中庸な心にある

 

私たちの祖先は、森羅万象に何かしらのメッセージがあることを理解していました。

目の前の出来事に対して善悪の分別をせず、

そのメッセージの意味をみんなで共有していました。

一歩引いた視点を持ち、良いも悪いも包括して中庸的(ニュートラル)に考える。

そうやって自然からヒントを得ながら、智慧という襷(たすき)が受け継がれてきました。

鮎川義介の生き方に學ぶ
     

私たちの祖先は天地自然の理を、生活の智慧として当たり前のように活用してきました。

そして、この自然法則から得る学びは近現代においても社会繁栄の礎として実践されています。

日立や日産といった企業を創業した鮎川義介は
この教えを会社経営の中に取り入れて実践し、これらを日本を代表する企業へと成長させてきました。

全ての学問は自然の摂理から成り立っている。

あなたも聞いたことがある経営学、健康学、宗教、量子力学などあらゆる学問の頂点にあるものが自然からの教えなのです。

窮理學を応用する

     

私たちの祖先は天地自然の理を、生活の智慧として当たり前のように活用してきました。

そして、この自然法則が根幹となった窮理學は近現代においても社会繁栄の礎として実践されてきました。

例えば、日立や日産といった企業を創設した鮎川義介は
この窮理學の教えを実践し、これらを日本を代表する企業へと成長させてきました。

全ての学問は窮理學から通ず。

全ての道は日本橋から始まりますが、全ての学問はこの窮理學から始まっています。

あなたも聞いたことがある経営学、健康学、宗教、量子力学などあらゆる学問の根幹となっています。

大自然から教わる
     

私たちの學びは自然摂理に基づいたもの。

「鳥が飛ぶ」「花が咲く」ことに対して理由を付けて説明ができないように、
全て私たちは自然法則の上に成り立っています。

自然が教えてくれることは人の言葉よりも遥かに歴史が深く、重みがあります。

それを、現代の言葉に落とし込んで日常でも使えるように、
みなさんと共有していきます。

窮理學(きゅうりがく)の原点

     

この言葉、初めて聞く方が多いのではないかと思います。

窮理学とはこの世の理(ことわり)を示したもの。
例えば、鳥が空を飛ぶ。草が生える、などもこの世の理です。

なぜ、そうなるの?

と子どもに聞かれたらどのように答えますか?


それは浮遊力で・とか
光合成がとかそういう問題ではありません。

そういうものなんだ!としか言いようがないと思います。

言い換えると天地自然の理とも言います。
地球が生まれた時からの自然法則です。

では、日常の中での一例を。
「目の前で起きた出来事は全て自分の思考・行動に起因する。」

実はこれも天地自然の理なんです。

私たちが知らないだけで、窮理學の根幹となる自然法則は数えきれないほどあります。

既成概念は一度ゼロに
     

學ぶ上で大切なことがあります。
それは、既成概念の延長線上で理解しないということ。

私たちは何か新しいことを學ぶ時、過去の経験や評価から判断して、
「おそらくこういうことだろう」とか「これはあの學びと同じだろう」と無意識的に結びつけてしまいがちです。

このように解釈してしまうと、全く新しい概念も取り入れることができません。

太古からの自然の智慧というものは学校の教育では強調されない教えがほとんどです。
もしかしたら、自分の中の常識から外れる概念が多いかもしれません。

一度、既成概念をゼロにして、真っ白なキャンパスに絵を描くような気持ちで聞くことをおすすめします。

既成概念はゼロに

     

窮理學を学ぶ上で大切なことがあります。
それは、既成概念の延長線上で理解しないということ。

私たちは何か新しいことを学ぶ時、過去の経験や学びから判断して、
「おそらくこういうことだろう」とか「これはあの学びと同じだろう」と結びつけてしまいがちです。

このように解釈してしまうと、全く新しい概念も取り入れることができません。

窮理學は学校の教育では強調されない教えがほとんどです。
もしかしたら、自分の中の常識から外れる概念が多いかもしれません。

一度、既成概念をゼロにして、真っ白なキャンパスに絵を描くような気持ちで聞くことをおすすめします。

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「なんだかできるかな...」
「私には難しいかな...」

実は難しいことなんて一つもありません。

実際に小学生や中学生も受講している學舎です。

昔、おじいちゃんおばあちゃんに、
人には優しく、助け合いなさい。
と言われたことがあるかと思います。

新しい時代に必要なのは難しい数学の公式ではなく、
そんな愛と智慧の教えなのです。

当塾での學びもそのような基礎的かつ真理的な學びが中心となります。

「なんだかできるかな...」
「私には難しいかな...」

難しいことなんて一つもありません。
難しいと思ったら、本当に難しくなってしまいます。

実際に小学生や中学生の子も学びに来てくれています。

昔、おじいちゃんおばあちゃんに、人には親切に、礼儀正しくしなさい。
と言われたことがあると思います。

それは難しい数学の公式ではなく、人として生きる智慧だったり、日本の社会で生きていくための振る舞いだったりします。

当塾での学びもそのような基礎的かつ真理的な学びが中心となります。

ちなみに窮理學は野菜のきゅうりとは関係がありません。
(もしそのような学問があったら気にはなりますが。)